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障害

昨日漫画の「リアル」を一巻から読み直していつも通り胸が苦しくなりました。
障害者の扱いについては世間的には平等にとか差別するなという偽善的な意見が良いみたいな風潮だと感じています。
個人個人がどう思ってるかは知りませんが挙動などに明らかな異常をきたしている人を見ると多くの人が嫌悪感ないし恐怖などあまりいいイメージを持たないことが多々あると思います。

欠損の障害については体の一部がなくなっているだけなので奇異な目で見られてもその人自体に悪いイメージを持つことは初対面ではあまり考えられません。
医療の発達によって増えてきている神経系の障害者についての議論はまだまだ足りないと思っています。昔とは違い生まれる前に障害が分かることも多々あり、出産後に気づく場合でも今は大体の人がそこ子供を生かします。
それが普通のような世論が出来上がっている気がします。

昔といってもほんの百年二百年前、知恵遅れや奇形児だったりは大抵の場合捨てていました。(このことについてはしっかり調べているわけではないので、知識として間違っていたり事実誤認の可能性があります)
それは生きていく上で仕方のないことで当然の判断であったと思っています。命が平等なわけがありません
それに比べて今は裕福になりそういう人を受け入れられる環境も整ってきています。ですが


その子供を育てる事、本当にできるのですか?
あなたが死んだらその子供どうなるんですか?
一人で生きていけるんですか?最後まで本当に育てられるのですか?


普通の子供ですらまともに育てることの出来ない親が増えているのに(当社比)
ハンデキャップを負った子を責任持って育てれる人がそんなにいるのでしょうか


育てられないから施設に入れるなり、諦めるなりそうすることも当然の選択肢として増えることがこれからあるべきだと思います








相当わけわかんないこと書いてますね、軽く流しといてくれるとありがたいです

笑い

お笑いブームなんてとっくに過ぎて、お笑い(笑)と呼ばれるような気がしないでもない今日です。

周りを見渡すとよく笑う人って結構いますよね。笑う人がいると場の雰囲気はよくなるし笑わせた相手も気分がいいでしょう。
中には相手を嘲笑するものだったりいじりと称したものであったりもしますが基本的には笑いとはよい刺激です

その笑いについて、未だに人が笑う基準が分からないというか言語化できない部分が多々あります。勿論お笑いというのは可視化出来ないものなので言葉に表せなくて当然なのですがそれでも他人が何を感じて笑うのかというのを理解しようともがいています。
小難しく無駄に考えて見て一つ思ったのは、お笑いの内容よりもまず欲しいのは大衆受け、インパクトが必要なのだなと。
例えば一発屋のお笑い芸人がブームが去った後「あれのどこが面白かったの」という人が大半なのではないでしょうか
周りが面白いと言って笑っている、なら私も笑える。そんな風に無意識に選択をしているのではないのでしょうか

小さいことですけど、常々思うのがツイッターやら配信で取り上げられる笑いの沸点が低いというか、いえ沸点というよりは笑いのポイントが分からないという感じですね。漫才だったりコントだとボケがあり(ここで笑ってくれ)という作り手の思いを理解することは出来ます。(笑えるかは別として)
よくリツイートする人がいますけどそれって本当に必要なリツイートなのと疑問に思うことはあります。それ自体は嫌だとか思ったりしないですしそう思うならとっくにフォロー外しているわけで。
ツイッターにルールとかはないのでいいのですが、そういうリツイートを見てこの人はこれの何を伝えたかったんだろうとかネタとしてもそんなに必要なの?とかどうでもいいことを考えたりしてます。


言いたかったのは下4行くらいのことか。長々と書いといてなんだけど
コミュニティに属していると往々にしてなりやすいけど、その中でのルールだったり雰囲気をそれ以外の人に強要するような感じになったりコミュニティ外でも同じような行動を取ってしまったりすることは、円滑な人間関係を築く障害になっていくよなぁと。
その中だけで生きていくなら問題ないけど、もっと広く受け入れて色々な体験をして生きたいものですね。


そんな行動力がなくても心はそうなれるよう、いずれは行動が伴うように一つづつ進んでいけたら面白いんじゃないかと思いますね

口下手

思うように言葉が出てこない。話題が出てこない、出てくるのは暗い話や自虐ばかり
引き篭もっていると会話ができなくなる、実感するのはレジの挨拶すら声が篭る時だった
いまだって生活の中心は引き篭もって活動しているけど、人との関係を絶った引き篭もりは本当に脳を退化させる。
出不精なのとは訳が違うのである

ここ最近は何をしても満足することもなく、人と積極的に絡もうとすら出来ない有様。
積極的にというほど元々絡んではいないけども、それ以上に一人で考え込むことが多くなった。
それはいい変化ではなく良くない症状だなと感じている。実際人と会話してみれば何てことないのにどこかしら億劫に感じている自分が出て来ている。
一人でいることに安らぎを感じる部分はあるけれども、あくまで一人が好きなだけであって一人がいいわけではない


内へ内へと自分を押し込めるような状態を打破しなければ先は見えてこないだろう
まずは自分の事から始めないとね。
とりこんだ洗濯物を畳んだり、課題やったりね

ニコニコ動画

ニコニコ動画をまぁ見るわけですけど、ランキングを見ていると派生動画が多いこと多いこと
別に多いことが悪いとかつまんねぇとかそういうことではない。本当にニコニコを見る人、参加する人が増えたんだなぁと実感する

自分は初めて見始めたのが秋のころなんでちょうどゲーム実況が最盛期から下り坂に入ってるころでしょうか
そのころも派生作品はありましたが今ほどの派生の量はなかったように思います。
いわゆる流行のモチーフをしたほうが再生数も多くなり派生が増えるのは当然なのです。
ちょっと前だとイーノック、今は不思議な薬。

いいんですよ別に、僕は参加しないし皆楽しんですから。
ニコニコが小さなコミュニティで内輪ネタで盛り上がっていた頃と違い今は大きなコミュニティとなってその中での反響は現実にしっかり返ってきます。
今はもう 皆さんがそれぞれ思い描いていたものとは違うものになってしまったでしょう。
これが改悪というわけではなく、こうなるはあるいみ必然だったでしょう。人増えなければ潰れていただろうし


まー僕はああいうリアルっぽいノリ方はあんまり好きじゃないですけどね、ここネットだし
ネットと現実は繋がってるけどネットでの所謂リア充的なノリはなんか見てて虚しくなるしねー


文章がうまくまとまらないや、活字離れは顕著に現れてくる、嫌なものだ


やっぱわかりあうなんて無理なんだよ

愚痴って聞いてていいものではないよね、共感できたり同じように思ってるなら乗れるかもしれないけど関係ない愚痴ほど迷惑なものはない。と僕は思ってるわけです
場合によるけど僕は人の愚痴は何回も聞きたいとは思いません、1、2回くらいだったらむしろ楽しむんですけど。

僕は愚痴というか自分の中でどうしようもない感じの問題にぶち当たったとき、他人に思いをぶつける事が非常に苦手です。
それをしない理由の一つとして相手にとって面倒くさいことをさせたくないという思いがあるからですね、
他人を思いやってるといえば聞こえがいいですけど、結局相手に面倒臭いと思われたくないという自己保身から来てるんだなって気付きました。
あとは愚痴と言っても明確な主題がないのでふわふわした話となり自分も相手も消化不良になってしまいやすそうだからとかです。

こういう風にしばらくは思ってたんですが中にはむしろそういう話を聞いて「自分はこいつの為に何かしてあげてる」と思ってくださる方もいるようだと聞きました。そういう考え方もあるのか。
思い返せば自分もそういうものを聞くときそう思っていたようないないような気がします

それでも一歩踏み出せないのはいつからか身に付いた「失敗しない危険性の低い選択肢を選ぶ習慣」

何か行動を起こすことに非常に億劫になってきているなぁと思うようにやっと最近になって思うようになりました
この習慣のやっかいなところは目について失敗やだめなところがないので(まぁいいか)ですましやすくなっていることです

色々考えても結局動かなければ何の意味もないねぇ、でも動かない
ダメな人間って言うのはやれない人間なんだよ
やれる出来る人間にとっては不思議かもしれないし、やる気だせば解決するとか思うだろう
だいたいの人は↑に当てはまるからそれが普通で多数派なんだから正解見たく思うだろうさ
でもできねーんだよ、出来ないんだよ。出来ればさっさとやってるに決まってるだろ

以下水掛け論が続くので終了


12月かあと1ヶ月で1年が終わり
今年は少しは前に進めたかな


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